心の鏡
前回の記事では、お寺で起きた理不尽な出来事をきっかけに、昔から感じていた「嫌な感覚」が、父との関係にもつながっているのかもしれない、と気づいたことを書きました。
そのとき、ふと思ったのです。
「これは、自分の心の鏡を見つめるタイミングなのかもしれない」
そこから私は、自分の中に何があるのか、少しずつ見ていくことにしました。

出てくる、出てくる。父への気持ち
私はハコミセラピーを受けたり、ノートに思ったことを書いたりしながら、自分の心を見ていきました。
すると……
出てくる、出てくる。
父に対する恨みや怒りが、次から次へと出てきたのです。
「こんなことを言われた」
「あのとき、どうして助けてくれなかったんだろう」
「どうして私の気持ちを分かってくれなかったんだろう」
父とのことを思い出していると、まるで芋づる式に、昔の嫌な記憶まで出てきました。
父とは直接関係のない出来事まで思い出される。
「ああ、私の中には、こんなにたくさんのものが残っていたんだ……」
そんな感じでした。
「父に感謝できること」を探してみたら……
父に対して嫌悪感があることは、以前から分かっていました。
昔の私は、「父を悪く思う自分は、心の汚い人間なんじゃないか」と思っていたので、その気持ち自体を認めたくなかったのです。
でも今回は、あえて別の方向からも見てみようと思いました。
「父に感謝できることって、何かあるんだろう?」
探してみたのです。
もちろん、めちゃくちゃ抵抗がありました(笑)。
でも、このまま怒りや恨みに心を占領されたくない。
だから、自分のためにも、別の角度から何か見つけてみたかったのです。
ところが……
父に感謝できることを探そうとすると、身体から強い拒否反応が出ました。
気持ち悪くなるのです。
「いや、感謝するところ、ないよ!」
それは、もう……
超、超ですよ(笑)。
なぜ、そこまで抵抗が出るのか。
その理由をたどっていくと、幼い頃の記憶が出てきました。
父からは、容姿や能力について、何度も否定的な言葉をかけられていました。
「ブスだ」
「バカだ」
「(父の嫌いな)母に似ている」
友達と比べられて、
「友達は可愛いけど、お前はブスだから、ひがんだらいけない」
と言われたこともあります。
今の私なら、
「そんなこと言わないでよ」
と言い返せると思います。
でも、あの頃の私はできませんでした。
頭が真っ白になって、喉がギュッと絞めつけられるような感じになっていたのです。
今、その記憶を思い出しても、胸のあたりがズドンと重たくなります。
そして、もう一つ気づいたことがありました。
私は、傷つけられても、それでも父に認めてもらいたかったんだと思います。
子どもだった私は、やっぱり父に愛されたかった。
「いつか認めてもらいたい」
そんな気持ちが、どこかに残っていたのです。
「どうだった?」と聞いた私
それを感じさせる、ひとつの記憶があります。
高校生の頃、私は演劇で主役を演じました。

父に、
「観に来て」
と声をかけました。
そして、芝居が終わったあと、
「どうだった?」
と感想を聞いたのです。
きっと主役だった私を、少しは褒めてくれる。
そんな期待があったんだと思います。
ところが、父から返ってきた言葉は、
「あの子は綺麗だ」
でした。
私の芝居についての感想ではありませんでした。
「あの子は綺麗だ」
その言葉を聞いたとき、私は絶望しました。
そして同時に、
「やっぱり、この人に何を言っても無駄なんだ」
という、冷めた気持ちも出てきました。
今思い出しても、切なくなります。
それでも、心配してくれた父の記憶
ところが、父との記憶をさらに見ていくと、今度は別の場面が出てきました。
最初の結婚のときです。
前の夫は遊び人で、家にほとんど帰ってきませんでした。
私は寂しくて家を出て、しばらく友達の家に泊めてもらっていました。
でも、「さすがに何泊もお世話になるわけにはいかない」と思い、実家に帰りました。
泣きながら帰ってきた私を見て、父が言ったのです。
「ここに居てほしいんだ」
父は、そのとき私を責めませんでした。
ただ、
「ここに居てほしい」
と言った。
その言葉が、今になって心に浮かんできました。
もう一つ、思い出したことがあります。
今の主人との間で不妊治療をしていた頃、父が主人に向かって、
「頼むな」
と言ったことがありました。
そのときの私は、特に何も感じていなかったと思います。
でも今思えば、
「父なりに、私を想ってくれた言葉だったのかもしれない」
そんなふうにも思います。
ただ、その言葉を素直に受け取れなかった自分もいました。
まるで他人事のように聞こえていたのです。
もしかしたら、期待して、また傷つくことが怖かったのかもしれません。
「どうして私の味方をしてくれないの?」
それなのに、父との記憶は、また別のところで私を傷つけます。
前の夫が浮気をして家に帰ってこなくて、私が泣いていたときのこと。
父は、前の夫に怒ってくれませんでした。
むしろ、
「女はやきもち焼き屋だ。そんなものだ」
というようなことを前夫に言ったのです。
私は傷つきました。
「どうして、お父さんは私の味方をしてくれないの?」
「どうして怒ってくれないの?」
そんな気持ちになったことを覚えています。
だから、私の中では、父に対する気持ちが一つにまとまらないのです。
心配してくれた父もいる。
でも、守ってほしいときに守ってくれなかった父もいる。
優しい言葉をくれた父もいる。
でも、私を深く傷つける言葉を何度もかけた父もいる。
どちらも、私の中に残っています。
心がシーソーのように、上がったり下がったりする。
「愛したい」という気持ちが出てくることもある。
でも、傷つけられた記憶が、それを許してくれない。
愛したいのに、愛せない。
そんな矛盾した気持ちが、私の中にありました。
感謝できなくてもいい
ここまで父との記憶をたどってみても、
「だから、お父さんに感謝しよう」
とはなりませんでした。
感謝なんてできない。
恨みもある。
悲しみもある。
怒りもある。
私は、父のしたことを許せない。
そう思っています。
それでも……
涙が出ました。
その涙が何を意味していたのか、今の私にはまだ分かりません。
ただ、涙が出たことで、
「私の中には、こんな気持ちも残っていたんだ」
と気づきました。
それだけで、今は十分なのだと思います。
人の心は、ひとつの感情だけではない
私はこれまで、
「父=私を傷つけた人」
という記憶を強く持っていました。
それは、今でも変わりません。
でも、そこには、
「ここに居てほしい」
と言った父もいる。
主人に、
「頼むな」
と声をかけた父もいる。
そんな記憶も、確かに私の中にありました。
だからといって、「本当は良い父だった」と記憶を書き換える必要はない。
父を許す必要もない。
無理に感謝する必要もない。
いろいろな気持ちが、矛盾したまま存在していてもいいのかもしれません。
そこで私は、自分自身に、こんなふうに声をかけてみました。
「それは、そうなるよ。そのままで今はOK」
そうすると、胸がホッとして、少し気持ちが和らぎました。
心に、ほんの少し余白ができて、呼吸ができるような感じ。

「父に愛されたかった私」
「父に認めてほしかった私」
「父に守ってほしかった私」
そして、
「父に傷つけられた私」
その全部を抱えたままでいい。
「その全部を抱えたままで良いんだよ」
そう、自分に優しくしてみる。
それも、ありのままの私なんだよね~、なんて。
良い子で、完璧な私じゃなくてもいい。
そんな私にも、OKを出してあげる。
そんなことを、今の私は少しずつ練習しているのかもしれません。
お不動さん巡りから始まったこの旅は、思いがけず、父との関係の中で傷つき、苦しんできた自分の心を、もう一度見つめる旅になりました。
父への感情に、無理に白黒をつけなくてもいい。
グラデーションのままでいい。
シーソーのように、揺らいでいてもいい。
今はただ、
私の心を大切にしたいのです。
(第5弾へ続きます)

