ありのままの捉え方

ありのままで良いんだよ
と、言われると
否定してしまう自分がいる・・・
私のありのままなんて
とんでもない!
何て思ったとしたら・・・
それはありのままの捉え方が間違ってます![]()
私は昔
「ありのままで良いんだよ」
と、言われるとものすごく抵抗がありました
こんな私、良いわけないじゃん!と・・・![]()
実は「ありのまま」の捉え方を間違えていたんです
「ありのまま」は、まさに言葉のとおり
「ありのまま」なんです
ありのままとは?
「ありのまま」は在りようです
私達はもともと
「おぎゃぁ」と生まれたときは
魂、そのものでした
性格は発達段階(成長)につれ出来てきたものです
この世に誕生したときは
魂そのもの
ありのままで生まれてきました
成長過程で出来た性格に対して
自分であれはダメ、嫌とジャッジしていて
清廉潔白でないと
「ありのまま」は許されないと思ってたら・・・
完璧なんて無理なのに
清廉潔白であろうとして
自分を批判して・・・
それはそれは苦しいです
”ありのまま”は感情では無い
ところが、”ありのまま”を感情だと間違えて捉えがちです。
例えば<怒り>がある自分に嫌悪感を持っているとします
怒りは悪いもので
それがあるのはダメなこと
あったら<ありのまま>なんてありえない!
と、お考えを持っていませんか?
でもね
<怒り>は、二次感情で
その奥底には悲しみがあります
では、悲しみの反対は何でしょう・・・。
喜び
嬉しさ
穏やかさ
でしょうか・・・
感情はコインの表と裏と同じ
この世は二極化なので
二つに見えて実は一つなんですね
まるでコインの裏と表
裏と表は同じ一つのコインで
二つの側面にすぎません
ですがコインの片方を見ようとすると、もう片方は見えないのです
<悲しみ>が分かるから
喜ぶ、嬉しいが分かる
喜びと嬉しいだけでは<悲しみ>は分からなくて
<悲しみ>があるからこそ何かを大切にしたい気持ちが分かります
わたしたちは ついついものごとの一面しか見てないわけです
つまり、怒りを持つ自分に意識を向けて
怒りを持つ自分はダメな人・・・
みたいな感じです
怒りを持つ一面でしか自分を観ていない
怒りを持つ自分はコインの表だとしたら
裏が必ずあります
怒りがあるから
自分が本当は寂しいという気持ちにも気づけたり
心に痛みを感じ、人に優しくなれたりします
自分の中のもうひとつの部分にも
心を向けてあげて
一面だけでなく
自分をパノラマで観てあげます
感情に良いも悪いも無いことを
コインの裏と表で例えてみましたが
太陽と月も同じです
太陽がなければ月のありがたみが分からず
月が無ければ太陽のありがたさがわかりません・・。
怒ってる自分も
まるごとありのままと捉えてみて
自分の本当の気持ちにOKを出してみてくださいね






