感情の中でも”怒り”ってあってはダメと、ついついフタをしちゃう。
私たちって、知らない間に親だったり社会から
”怒り”はまるでいけない感情だと禁止されてる感じがするんですよね。
だから”怒り”があることを友達にも、親にも誰にも言えないで
良い子ちゃんを演じてしまう。

最近は「ありのまま」というワードがあるけども
そうは言っても、今までの心のクセとか、嫌われたくないおそれから
”怒り”があって不快な時も笑顔を作って良い子を演じちゃう。
だって”怒り”を表してしまうと
嫌われてしまうのではないか、
誰かを傷つけてしまうのではないか、と不安になったり
「人としてダメだ」と、恥に感じることも。
これだと心の中で”怒り”が「ある」vs「あってはダメ」、と葛藤が起きちゃうよね。
”怒り”は、生きていたら絶対に感じるもの。
良いトカ、悪いトカ判断するのはナンセンス。
あのガンジーさんも、南アフリカでアパルトヘイトによる人種差別にいつも激しく怒っていたそうだ。
怒らなきゃいけない時もあるもの。

”怒り”は自然な感情のなかのひとつにすぎない。
だいたい、「今から私は怒るぞ」って準備してるわけじゃなくて
誰かの言動とかがキッカケになって自動的(勝手)になるものでしょ。
どんなに”怒り”がダメと言われても
自分でコントロールできない領域だから
それを制御しようとしても無理!
それよりも「何で怒りが起きるんだろう?」と、面白いな~
と、好奇心を持った方が得策なんだよね。
「えっ!?相手が悪いのに何で私が自分に意識を向けて、しかも好奇心を持たなきゃぁいけないの?」
なんて怒りの声が聞こえてきそうですが
それは”怒り”からのメッセージがあるはずだから。
例えば苦手な人の言動が実は母親そっくりだとかね。
そうすると、あなたのテーマは「母親との関係性」になるわけ。
乗り越える山がみえてくる。
先ずは自分が”怒り”を持ってるとちゃんと認識していこうよ。
そうでないと”怒り”の奴隷になっちゃうからね。
つまり、自分の怒りで自分の人生を縛っちゃうわけ。
”怒り”という牢獄に自ら居るみたいな。
そんな人生、まっぴらですよね!
そうそう、私の場合、”怒り”がおきると心の中にヤンキーちゃんが現れるの。
「ハロー!私の中の怒りのヤンキーちゃん」

そのヤンキーちゃんは「ムカつく~」って、毒づいている。
昔、”怒り”の正体を観ようとしなかったら
”怒り”が巨大化してモンスターになって私の中を暴れまわっていました。
観ようとしないと妄想が膨らむという感じ。
で、”怒り”を認めたらこのヤンキーちゃんが出てきました。
今はこのヤンキーちゃんが大好きで、
ヤンキーちゃんの心の声を聴いて、
「そうだよねー」とか、「怒れるよねー」とか言って励ましあう。(笑)
そう、そう、先日いらしたご相談者様は
やさぐれ感いっぱいの桃井かおりさんが
心の中にいらっしゃるそうです。(笑)
”怒り”を持つなと言われても絶対無理な話。
だったら、そんな自分を受入れてあげようよ。
怒る私も私なんだよって♡
私たちは凸凹で、凸凹が繋がっていく世界だと私は信じてる。
凸凹って、色んな人が色んなオリジナリティを持っていて
それが共感しあって人生が楽しんじゃあないかな。
先ずは顏をあげて、自分が自分でいられる、安心する人をみつけよう。
人が怖くて、信じられないまま、顔を横にそっぽ向けていたら見つからないからね。
そこから繋がって、さらに信頼関係を育てていくって
めっちゃ幸せな気持ちになるんだよ。

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